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【keyperson interview】クリエイティブディレクター・小橋賢児さん「俳優の時は『できない言い訳』ばかり。今、その反動で極上のワクワクを追い求めている」【前編】
SPACE MEDIAを運営するミューカ代表・大塚省伍がOOH業界を牽引するキーパーソンの方々と対談を行い、変化の激しい業界の未来を創造する特集企画。
第5回目の対談相手は国内最大級のダンスミュージックフェス「ULTRA JAPAN」を始め、未来型花火エンターテインメント「STAR ISLAND」など数々のイベントを手掛けてきたクリエイティブディレクターの小橋賢児さん。27歳までは俳優として活躍。人気ドラマの名演をご記憶の方も多いかもしれません。そんな小橋さんが全てを失い、「0」からの復活を果たした知られざる人生、そして未来を見据えた意外な「実験」について熱く語ってくれました。
30歳のバースデーパーティーが人生「0」からの復活だった
大塚:小橋さんと言えば「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターや「STAR ISLAND」のプロデューサーとして歴任され、クリエイターとして勝手ながらずっと注目させて頂いておりました。今では、ノンアルコールバー「0%」や、リトリートラウンジ「UNBORN」など幅広いジャンルのディレクションもされていますが、そもそも現在の小橋さんの肩書きとは?
小橋:それ、自分でもよく分からないんですよね(笑)。表向きはクリエイティブディレクターってことになってますが、別にディレクターやイベンターを目指したわけでもないので肩書きには少々困っております。正直あんまりこだわってないですね。
大塚:もともとは俳優として活躍されていましたが、どういう経緯でクリエイティブディレクターに?
小橋:色々ありますが、一つのきっかけとして26歳の時に行ったネパールですね。現地で同世代の男性と数日間一緒に過ごしたんですが、家族を守るために今という時を必死に生きている姿に圧倒されたんです。当時の僕は過去と未来ばかり気にしていて生きていて…ずっとモヤモヤしていた部分を指摘されたような気がしました。「自分は嘘をついて生きている。それでいいのか?」と。それを機に27歳の時に芸能界の仕事をすべて休止しました。限界だったんですよね、当時は。
その後、アメリカに語学留学したり、世界中を旅して日本に戻ってきたんですけど
、実は何をやっても上手くいかず、気付いたらお金も底をつきストレスで鬱状態に。
ある日、ふと病院にいって検査したら肝機能障害で「このままだと死にますよ」と言われたんですが、このまま病気を言い訳にダメな自分になるのもそれはそれでラクでいい、という想いと、いやまてよ病気を治せば0から立ち直れる、この2つの想いで葛藤したんですが、なぜか後者を選べました。誰からに対するプレッシャーがなかったからもしれません。
大塚:「1」からというより「0」からの復活。かなりの苦労があったのでは?
小橋:ですね。まずは身体を治すために知り合いのジムトレーナーに相談しました。久しぶりに僕を見たトレーナーは会うなり一言、これはヤバイって(笑)。かなり病んでたんでしょうね。
そんな僕の為に海の近くの安いアパートを紹介してくれて、大自然の中、みんなのサポートを受けながらトレイルランやライフセービングなどのトレーニングに励みました。その時に小さな目標として決めたのが30歳の自分の誕生日を自分でプロデュースするということだったんです。「復活した自分で仲間をおもてなししたい!」。でも、その後が大変だったんですけど。
大塚:大変だったというのは?
小橋:なんとか身体も回復してバースデーパーティーのための準備に取りかかったんですが、会場を先輩に紹介してもらったところ、快くお台場のホテルのプールを貸りられることに。でも、後々結構な金額の請求が来てビックリして。その額を見て、これは本格的なイベントにしないとダメだと思ったので映像を作ったり問屋街へ出向いて会場装飾を購入したり……。今思うと、イベントの前身みたいなものを作ってました。
でも、振り返ればそこで授かった小さなノウハウ、仲間、すべてが縁になってその後の仕事に繋がり、今に繋がっているんです。だから僕の原点こそ30歳のバースデーパーティーなのかもしれませんね。
「ULTRA JAPAN」は“日常の中の非日常” 世界を変えられると自信になった
大塚:そんな小橋さんの最初の大きな仕事が「ULTRA JAPAN」。ULTRA日本上陸の立役者であり、クリエイティブディレクターも務められました。きっかけは?
小橋:ULTRAがアジアに初上陸する時に突然友達から連絡があったんです。「ULTRA のASIAのボスが面白い奴と組みたいって言ってたから、賢児、紹介しといたよ」って。それである日、突然ボスから「Skypeをしよう」って、会ったこともない僕に言ってきたんです。Skype するや否や、「あと数時間でDJを5人ブッキングして」とか無茶ブリの嵐。海外のフェスってこんな感じなの?って思いながらも必死に応えました。今思えば、自分の領域ではない常識外のことまでやってたんですけどね(笑)。
東京お台場を舞台に2014年から開催
初年度からわずか3年で延べ25万人以上が熱狂した(@kenji_kohashiのInstagramより転用)
大塚:「ULTRA JAPAN」大成功の秘訣はなんだと思われますか?
小橋:世の中に存在するものってすべて必要とされているものだと思うんです。「ULTRA JAPAN」もそうだったのかも。というのも当時から若者の間には社会に抑圧されて渦巻いているフラストレーションみたいなものがあったと思うんですよね。その上、未来にも期待できず自分たちの行き場所もないみたいな。
世界を見ると未来は明るそうなのに「どうせ日本だから」という悲観的なムードがあって、僕自身の根底にもそういう想いがあったんです。でも、本当はみんなどこかで変わりたいと思っている。そんな鬱屈した日常で感情をさらけ出せる場所が、もしかしたら「ULTRA JAPAN」だったのかもしれません。「日常の中の非日常に行ってみたい」という気持ちに刺さったような気がします。
もともと「ULTRA JAPAN」も「どうせこんなでかいフェス、日本でできない」と言われていたんですが、これを都会のド真ん中でやったらそれを体験した人々の意識が変わるかもしれない。どうせ無理だって思っている人々の意識の固定概念がひっくり返ったら、自分も日本も未来も変わるのかもしれないって思ったんです。
大塚:「ULTRA JAPAN」で一番興奮した瞬間は?
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小橋:2014年の2日目ですね。規制のため上空にヘリを飛ばせないと言われていたんですが、僕は絶対に空からの画を残したい!見せたい!と思っていました。会場にきた人もそうでない人にも東京のド真ん中でコレが起きている現実を目に焼き付けて欲しかったんです。
だから、当時のアシスタントと一緒にヘリ会社に電話しまくってお願いしたら一軒だけOKしてくれて。「100%約束はできないけど、当日、管制塔が許可を出してくれたら飛ばせるかもしれない」って。
そして2日目の終わり間際。今でも鮮明に覚えています。やってきたんですよ、ULTRAの真上にヘリが!あれは鳥肌が立ちましたね!今まで無理だと言われて諦めていたことを諦めずに挑戦した、その想いが通じて最高の形で実現した瞬間でしたね。
俳優の時は「できない言い訳」ばかり。今、その反動でワクワクを追い求めている
大塚:俳優の頃と現在の小橋さん、大きな違いはなんですか?
小橋:俳優の時は「できない言い訳」ばかり探しながら生きてました。俳優だからこういう場所に行ってはいけない、これをしてはいけない。ある意味「have to」だらけの人生ですごく苦しかった。最後の方はそんな苦しいという感情さえも捨てて、何も感じないロボットのように過ごしていましたね。
今はその反動なのか、とにかくワクワクすることや鳥肌が立つことに挑戦してみたい!後先なんか考えずにできるかどうか分からないけど、とにかく興味のあることに飛び込んでいきたい!と思っています。
大塚:ちなみに、今、小橋さんがワクワクしていることは?
小橋:最近、地方に行くことが多かったんですが、日本の豊かな自然や景色、地元の若者と出会って何か面白いことができそうな気がしたんです。地方の町作り、村作りというか。今まで僕が培ってきた感覚とかエッセンスを地方とミックスしたらとんでもないものができそうかなって。実は最近そういう話もあってちょっと動いているんです。ぜひ、楽しみに待っていて下さい!
後編へ続く_
プロフィール

小橋賢児(Kenji Kohashi)
The Human Miracle株式会社
代表取締役/クリエイティブディレクター
1979年東京都生まれ。88年に俳優デビューし、数多くのドラマに出演後、2007年に芸能活動を休止。『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターや『STAR ISLAND』の総合プロデューサーを歴任。
『CONTACT』(@kenji_kohashiのInstagramより転用)
500機のドローンを使用した夜空のスペクタルショー『CONTACT』でJACEイベントアワード最優秀賞の経済産業大臣賞を受賞。
「Hi-NODE(ハイノード)」(@kenji_kohashiのInstagramより転用)
日の出桟橋の「Hi-NODE(ハイノード)」の企画アドバイザーを務めたり、都市開発や地方創生に携わる。
2020年7月に完全ノンアルコールバー「0% NON ALCOHOL EXPERIENCE」、2021年1月に新時代のリトリートラウンジ「UNBORN(アンボーン)」をオープン。
Twitter:https://twitter.com/KENJI_KOHASHI
Instagram:https://www.instagram.com/kenji_kohashi/
The Human Miracle株式会社 オフィシャルHP
https://www.thehumanmiracle.com/
取材・文/太田光洋
第5回目の対談相手は国内最大級のダンスミュージックフェス「ULTRA JAPAN」を始め、未来型花火エンターテインメント「STAR ISLAND」など数々のイベントを手掛けてきたクリエイティブディレクターの小橋賢児さん。27歳までは俳優として活躍。人気ドラマの名演をご記憶の方も多いかもしれません。そんな小橋さんが全てを失い、「0」からの復活を果たした知られざる人生、そして未来を見据えた意外な「実験」について熱く語ってくれました。
30歳のバースデーパーティーが人生「0」からの復活だった
大塚:小橋さんと言えば「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターや「STAR ISLAND」のプロデューサーとして歴任され、クリエイターとして勝手ながらずっと注目させて頂いておりました。今では、ノンアルコールバー「0%」や、リトリートラウンジ「UNBORN」など幅広いジャンルのディレクションもされていますが、そもそも現在の小橋さんの肩書きとは?
小橋:それ、自分でもよく分からないんですよね(笑)。表向きはクリエイティブディレクターってことになってますが、別にディレクターやイベンターを目指したわけでもないので肩書きには少々困っております。正直あんまりこだわってないですね。
大塚:もともとは俳優として活躍されていましたが、どういう経緯でクリエイティブディレクターに?
小橋:色々ありますが、一つのきっかけとして26歳の時に行ったネパールですね。現地で同世代の男性と数日間一緒に過ごしたんですが、家族を守るために今という時を必死に生きている姿に圧倒されたんです。当時の僕は過去と未来ばかり気にしていて生きていて…ずっとモヤモヤしていた部分を指摘されたような気がしました。「自分は嘘をついて生きている。それでいいのか?」と。それを機に27歳の時に芸能界の仕事をすべて休止しました。限界だったんですよね、当時は。
その後、アメリカに語学留学したり、世界中を旅して日本に戻ってきたんですけど
、実は何をやっても上手くいかず、気付いたらお金も底をつきストレスで鬱状態に。
ある日、ふと病院にいって検査したら肝機能障害で「このままだと死にますよ」と言われたんですが、このまま病気を言い訳にダメな自分になるのもそれはそれでラクでいい、という想いと、いやまてよ病気を治せば0から立ち直れる、この2つの想いで葛藤したんですが、なぜか後者を選べました。誰からに対するプレッシャーがなかったからもしれません。
大塚:「1」からというより「0」からの復活。かなりの苦労があったのでは?
小橋:ですね。まずは身体を治すために知り合いのジムトレーナーに相談しました。久しぶりに僕を見たトレーナーは会うなり一言、これはヤバイって(笑)。かなり病んでたんでしょうね。
そんな僕の為に海の近くの安いアパートを紹介してくれて、大自然の中、みんなのサポートを受けながらトレイルランやライフセービングなどのトレーニングに励みました。その時に小さな目標として決めたのが30歳の自分の誕生日を自分でプロデュースするということだったんです。「復活した自分で仲間をおもてなししたい!」。でも、その後が大変だったんですけど。
大塚:大変だったというのは?
小橋:なんとか身体も回復してバースデーパーティーのための準備に取りかかったんですが、会場を先輩に紹介してもらったところ、快くお台場のホテルのプールを貸りられることに。でも、後々結構な金額の請求が来てビックリして。その額を見て、これは本格的なイベントにしないとダメだと思ったので映像を作ったり問屋街へ出向いて会場装飾を購入したり……。今思うと、イベントの前身みたいなものを作ってました。
でも、振り返ればそこで授かった小さなノウハウ、仲間、すべてが縁になってその後の仕事に繋がり、今に繋がっているんです。だから僕の原点こそ30歳のバースデーパーティーなのかもしれませんね。
「ULTRA JAPAN」は“日常の中の非日常” 世界を変えられると自信になった
大塚:そんな小橋さんの最初の大きな仕事が「ULTRA JAPAN」。ULTRA日本上陸の立役者であり、クリエイティブディレクターも務められました。きっかけは?
小橋:ULTRAがアジアに初上陸する時に突然友達から連絡があったんです。「ULTRA のASIAのボスが面白い奴と組みたいって言ってたから、賢児、紹介しといたよ」って。それである日、突然ボスから「Skypeをしよう」って、会ったこともない僕に言ってきたんです。Skype するや否や、「あと数時間でDJを5人ブッキングして」とか無茶ブリの嵐。海外のフェスってこんな感じなの?って思いながらも必死に応えました。今思えば、自分の領域ではない常識外のことまでやってたんですけどね(笑)。

初年度からわずか3年で延べ25万人以上が熱狂した(@kenji_kohashiのInstagramより転用)
大塚:「ULTRA JAPAN」大成功の秘訣はなんだと思われますか?
小橋:世の中に存在するものってすべて必要とされているものだと思うんです。「ULTRA JAPAN」もそうだったのかも。というのも当時から若者の間には社会に抑圧されて渦巻いているフラストレーションみたいなものがあったと思うんですよね。その上、未来にも期待できず自分たちの行き場所もないみたいな。
世界を見ると未来は明るそうなのに「どうせ日本だから」という悲観的なムードがあって、僕自身の根底にもそういう想いがあったんです。でも、本当はみんなどこかで変わりたいと思っている。そんな鬱屈した日常で感情をさらけ出せる場所が、もしかしたら「ULTRA JAPAN」だったのかもしれません。「日常の中の非日常に行ってみたい」という気持ちに刺さったような気がします。
もともと「ULTRA JAPAN」も「どうせこんなでかいフェス、日本でできない」と言われていたんですが、これを都会のド真ん中でやったらそれを体験した人々の意識が変わるかもしれない。どうせ無理だって思っている人々の意識の固定概念がひっくり返ったら、自分も日本も未来も変わるのかもしれないって思ったんです。
大塚:「ULTRA JAPAN」で一番興奮した瞬間は?
.jpg)
小橋:2014年の2日目ですね。規制のため上空にヘリを飛ばせないと言われていたんですが、僕は絶対に空からの画を残したい!見せたい!と思っていました。会場にきた人もそうでない人にも東京のド真ん中でコレが起きている現実を目に焼き付けて欲しかったんです。
だから、当時のアシスタントと一緒にヘリ会社に電話しまくってお願いしたら一軒だけOKしてくれて。「100%約束はできないけど、当日、管制塔が許可を出してくれたら飛ばせるかもしれない」って。
そして2日目の終わり間際。今でも鮮明に覚えています。やってきたんですよ、ULTRAの真上にヘリが!あれは鳥肌が立ちましたね!今まで無理だと言われて諦めていたことを諦めずに挑戦した、その想いが通じて最高の形で実現した瞬間でしたね。
俳優の時は「できない言い訳」ばかり。今、その反動でワクワクを追い求めている
大塚:俳優の頃と現在の小橋さん、大きな違いはなんですか?
小橋:俳優の時は「できない言い訳」ばかり探しながら生きてました。俳優だからこういう場所に行ってはいけない、これをしてはいけない。ある意味「have to」だらけの人生ですごく苦しかった。最後の方はそんな苦しいという感情さえも捨てて、何も感じないロボットのように過ごしていましたね。
今はその反動なのか、とにかくワクワクすることや鳥肌が立つことに挑戦してみたい!後先なんか考えずにできるかどうか分からないけど、とにかく興味のあることに飛び込んでいきたい!と思っています。
大塚:ちなみに、今、小橋さんがワクワクしていることは?
小橋:最近、地方に行くことが多かったんですが、日本の豊かな自然や景色、地元の若者と出会って何か面白いことができそうな気がしたんです。地方の町作り、村作りというか。今まで僕が培ってきた感覚とかエッセンスを地方とミックスしたらとんでもないものができそうかなって。実は最近そういう話もあってちょっと動いているんです。ぜひ、楽しみに待っていて下さい!
後編へ続く_
プロフィール

小橋賢児(Kenji Kohashi)
The Human Miracle株式会社
代表取締役/クリエイティブディレクター
1979年東京都生まれ。88年に俳優デビューし、数多くのドラマに出演後、2007年に芸能活動を休止。『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターや『STAR ISLAND』の総合プロデューサーを歴任。

500機のドローンを使用した夜空のスペクタルショー『CONTACT』でJACEイベントアワード最優秀賞の経済産業大臣賞を受賞。

日の出桟橋の「Hi-NODE(ハイノード)」の企画アドバイザーを務めたり、都市開発や地方創生に携わる。
2020年7月に完全ノンアルコールバー「0% NON ALCOHOL EXPERIENCE」、2021年1月に新時代のリトリートラウンジ「UNBORN(アンボーン)」をオープン。
Twitter:https://twitter.com/KENJI_KOHASHI
Instagram:https://www.instagram.com/kenji_kohashi/
The Human Miracle株式会社 オフィシャルHP
https://www.thehumanmiracle.com/
取材・文/太田光洋